2012年2月8日水曜日

説得ではなく納得を。説明責任を果たすという事


某鷹野さんや某今井さん程整理して書いてないので悪文かも。

docomoの障害の件、最近のAndroidやiPhone用アプリの勝手な個人情報取得と勝手な利用、政治全般、ステマ騒動、新聞、2chまとめ系の聚落。
これらの問題に共通しているのが実は「説明責任」にまつわるモノなんじゃないかなと最近思い出した。

例えば政治に関して言えば、「説明責任を果たしていない」部分が多すぎる。
何故マニフェストを破ってまで政権を続けるのか、何故TTPに参加するのか、何故増税するのか。

取り敢えず私は彼らから充分な説明をもらったという感覚はない。確かにTVや新聞経由で復興の為、国民の為というお題目は聞く。しかし「では幾ら必要で幾らを何に使い幾らを何に使った上で、幾ら程の効果が生まれるのか」等の具体的な数値を伴った説明は殆どない。或いは数値があったとてその根拠の説明がない事もザラだ。

同時にこれはdocomoにも言えるだろう。確かに最近のスマフォの増加で通信量が増えた、というのは何となく解るがホント?という疑念は払拭仕切れない。
やはりここでも重要なのは具体的な数値とその数値の根拠の説明だ。

またAndroidやiPhoneのアプリに見られる個人情報の不正取得と不正使用。これも簡単に言えば利用者に対する説明責任を果たしてない事が問題だろう。
この手の話題を出すと「FacebookやGoogleも同じだ」と指摘する人がいる。確かにそれは正しい。基本的には同じく個人情報の利用だろう。だが少なからずFacebookやGoogleや用途や目的、利用方法を示している。それを承知した上で利用を許諾している訳だからある意味で利用者は文句を言えない。
しかしその部分をぼかしたままで利用者に利用させた以上、責務を問われるのは当然だと思う。
同じ意味で最近のSNSのアコギな金稼ぎもこれが問題だろう。課金のタイミングや課金量がどうなるか等の説明責任を充分に果たしていない。ソーシャルゲームがいまいち気に入らない人々がいるのはこれが原因だろう。


そして報道に関して。
本来報道というものはこの「説明責任を果たす事を補助する装置」だろう。例えば為政者が説明責任を果たす事なく何かを行おうとすれば、それを問うのが役目の筈だ。或いは為政者が説明責任は果たしたがそれを一般の人々は理解出来そうにない。だからこそそれを理解出来る様に説明するのが報道の役目だろう。

しかし今や報道の多くが如何に「説明責任を省くか」という点に力を入れている様に見える。
情報の単なる転送。偏向としか思えない報道。理論が飛躍した結論を付けた報道。お金の力で動かされているとしか思えない報道。

そしてこれは最近のステマや2chまとめ系にも言える。
過去、インターネットのこういったサイトは従来の報道機関が放棄し始めていた「説明責任を果たす事を補助する装置」としての役目を少しは担っていた。しかし最近はその様な機能よりもステマや従来の報道並み、或いは従来の報道以上に偏向、論理の飛躍等が目立つ様になってしまった。

ステマだって別に堂々とお金をもらったと宣言した上で広告すればいいじゃないか。それで売り上げが伸びれば企業側も執筆者も満足だろう。逆に売り上げが伸びなければその執筆者は金が入らなくなる訳だし、企業側は素早く有用な執筆者とそうでない執筆者を判断出来る様になるだろう。

そして最後に説明をしてもらう側に関して。こちら側のポイントは
・説明責任を果たす場の拒否
・思考停止
・知識不足
の3つだ。
最近とに目立つのは説明を求めて起きながら説明責任を果たす為の場を用意させない事だろうか。
説明しようとする側が何か言おうとすれば無視をしたり邪魔をしたり、根幹から否定する等して聞く耳すら持たない。或いは自分から知識を身につけないという点だ。2chやSNSで言えば荒らしがこれに相当するだろうか。

残りの二つは密接に関係している。思考停止しなければある程度知識不足を補う事が出来る。知識があれば、ある程度の思考停止を防ぐ事が出来る。
最近で言えば放射線に関してがこれだろう。放射線に対してある程度の知識があれば、トンデモ放射能の話がおかしいと気付くだろう。或いは情報を鵜呑みにせずしっかり自分の頭で考えれば知識がなくても何か違和感を感じて自分で調べた上で、言っている事がおかしいと気付くだろう。
ただ放射線に関してかなり突っ込んだ詳しい説明をもらう場合は聞き手もある程度の知識が必要である。精確に伝えようとすればする程に専門の知識が必要になる事はザラだ。ここで受信者側が「お前の話は難しい!もっと分かり易くしろ」と叫ぶのは上述した「説明責任を果たす場の拒否」に繫がるだろう。

ちょっと例を使って言えば、何らかの事象があった場合それは魚や肉の様な素材である。それを元に発信する側は料理人であるそして情報を受信する側は食い手である。
如何に優秀な料理人だとて、かみ砕く力が弱過ぎる客に、その素材を生かした料理を食わせるのは難しい。例え出来たとしてもそれは最早素材が何であったか解らない代物だ。情報で言い換えればそれは既に本来の事象を伝える事が出来ない何か別のモノになってしまっている事だろう。
そういう意味で情報の受け手はアゴを舌を鍛えておく必要がある。アゴが強力であれば料理人の手を介さずに直接その素材を食べる事が出来る。そして舌が強力であれば料理人が何かごまかしを加えたとて見抜く事が出来るだろう。


あとちょと注意したいのは、別に言葉だけが説明責任を果たす手段ではないという事だ。
例えばいい例がApple。というかジョブスか。
ジョブスがiPhoneを世に出した時、キーボードがない事に対してもの凄い批判を受けた。しかしジョブスは「まぁ使ってみなよ」というスタンスで商品をアピールし続けた。結果として利用者は後で「あぁキーボードって余り重要じゃないんだ」と気付いた訳だが、ジョブスがこの様な事を強行できたのは「いざと成ればキーボードが不要な理由を充分に説明する事が出来るし、不要だと言い切れるまで考え抜いた」という自信があったからだろう。
これがジョブスなりの説明責任の果たし方だ。
これはプログラマの開発者にも言える。キーボードがない事はある意味でバグだ。しかしジョブスはそれがバグでない理由を説明出来た。
最近ではプログラムの開発者の人が多いと思うが、自分がプログラムを作る際には優先順位を決めてある機能は後回しにする事がある。では貴方はその後回しにした機能がなぜ後回しになったのか説明仕切る事が出来るだろうか?
或いは言い方を変えれば、バグがあったとしても何故バグがあるかを説明出来れば、それはそれで問題ないのではないだろうか。
恐らく最近の日本の製品はこの点がおろそかになっている気がする。

或いは日本で言えば切腹もこれに相当するのではないかと私は考えている。確かに今でこそ切腹や辞任等なんて無責任の象徴になっているが、戦国時代で言えば武士なんていつ死ぬか解らないし、やろうと思えば周り全部ぶった切って逃げる事が出来るかもしれない。そんな中で自ら腹をかっさばくというのは、関係者に対する説明責任を充分に果たしている様な気がする。飽くまでコレは当時の文化が元になっているから、当時の人々がサムライとはこういうモノだと理解して居たからだろう。


さて最後に一番重要な事を一つ。
「説明責任を果たす」とは相手を説得する事ではない。納得させる事だ。

ジョブスは我々にキーボードがないけど使えと説得してきただろうか?
違う。
ジョブスは我々にキーボードがなくても全然問題ない言う事を納得させたのだ。

そしてこれはここに上げた全ての事例に通じる。
今現在の為政者は増税に関して我々を納得させただろうか?仕切りに説得に従事していないだろうか?
docomoは、アプリ開発者は、機能を省いた開発者は、利用者に対して納得のいく説明をしただろうか?
バグが残ったままの状態を開いてに納得してもらえるだけの説明が出来るだろうか?
貴方は仕事上、相手に納得してもらった上で仕事を渡しているだろうか?

貴方は親として子供にやっていい事、やっては行けない事を説明する責務を果たしているだろうか?
お金に付いて、経済について、政治について、哲学について、性知識について。
これらを説明せずに子供を放置するのは、親の責務の放棄でもあり、説明責任の放棄だ。

そして受信者としての貴方は、納得する為に自分で考え、自分で知識を得ているだろうか?
アゴを鍛えているだろうか?
そして発信者としての貴方は、キチンと相手に納得してもらえるだけの説明をしているだろうか?

と、ここまで書いておいて私は一つだけ説明責任を果たさなくていい、というか果たせないであろう事があると考えている。
それは告白する時だ。
彼を好きな理由、彼女を好きな理由を挙げる挙げられるという事は嫌いになる為の理由を挙げているという事だ。本当に誰かを好きになってしまった場合そんな事等考えられない筈だ。
だからこそ、告白は唯一説明責任が伴わない行為だと思う。

という厨二病くさい落ちが付いた所で終了。
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